山口実先生のご指導でした。
先週からのモチーフの続きです。
F6のキャンバスに水彩で。
F8のキャンバスに。
F8のキャンバスに。
F8のキャンバス。
F6のキャンバスに。
F6のキャンバスに。
F6のキャンバスに。
F6のキャンバス。
カモとブドウのモチーフ。
F6のスケッチブックに。
F6のキャンバスに。
F6、カラーの絵の修正。
今回はこんなところです。じょじょに作品ができつつあります。
まだ暑い日が続いていますね。
皆様、どうぞ元気でお過ごしくださいませ。
次回も山口実先生のご指導の予定です。
来週も、よろしくお願いいたします。
▼ 以下、先週、山口実先生から会員に配布された資料
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マチスの金魚の絵に学ぶ マチス(1969~1954)
セザンヌ(1839~1906) ピカソ(1881~1973)
今回はマチスの金魚の絵3点をピックアップしました。
左1912年 中央1915~1916年 右1914年
この3点に共通しているのは大胆に構成された画面と平塗にされた鮮やかな色彩です。
印象派の技法が発展するとスーラのような極端な点描になり個性を失っていった。ポスト印象派のゴッホは絵具をたっぷり使い、鮮やかな色彩で感情をぶつけるような強くて長いタッチを用いて表現したが、それがやじゅはを生んだ採っても過言ではない。マチスは初期1905年フォービズム(野獣派)のリーダーとして活躍するが、しかし1907年のセザンヌの回顧展を観た若きピカソとブラックがセザンヌの「自然を円錐体と円筒体と球体で捉えなさい」 絵画は表情ではなく形態を捉えなさいという言葉に、ピカソとブラックは人口とはなにかと考え 「角柱 (?)」 これがキュウビズム(立体派)を産むことになる。
野獣派は一気に広まったがすぐにマンネリ化しキュウビズムの高い評価が野獣派を急速に終焉させた。
マチスの絵画はその後 平面的な仕事に変わっていく。そこにはゴーギャンが提唱したナビ派の影響が伺える。ゴーギャンが若い画家セリジュエに「あの木は一体何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面に真っ赤の色を置きたまえ。それからその影は? どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ」と助言した。
ナビ派の仲間のモーリス・ドニは「絵画とは、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である」と述べている。
マチスはゴーギャン(1848~1903)の行ったタヒチに、1030年、61歳になって訪れ、海を飽きずに眺めた。それがのちの切り絵作品のイメージの源泉になった
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